第６章 空間論的視点
第１節 空間
１．空間の概念
未来についての考察において、非言語的な＜いま＞はあるものが存在することへと立ち現れるときとして規定された（第5章第1節）。 あるものが存在するときである＜いま＞が時間的に様態化されて「いま」として言語化されて、存在することは「いまある」こととして了解される。「いまある」ことはそれ以外にありえないという意味で絶対に回避不可能な事実である。一方、この世界で＜身体に包まれた心＞が定位する「ここ」はいかなる根拠にも先行されない所与として、やはり絶対に回避不可能な事実である（第3章第1節）。時間的な契機として「いま」と空間的な契機として「ここ」を包含した「いま・ここ」は、根本的に人間が存在するところである。人間が存在するとは根本においては「いま・ここ」にあることである。したがって「いま・ここ」にあることは、人間にとって最も基本的な存在様態である。「いま・ここ」にあるという存在様態を構成する時間的契機である「いま」は、人間の認識構造にもとづいて生じている。人間の認識にとっておよそ存在が起こるのは言語以前の＜いま＞であり、それが時間的様態を表現する言葉と相互参照されて「いま」として言語化される。他方、この存在様態を構成する空間的契機である「ここ」は身体が占める空間のなかの場所である。身体は心に指定されて空間のなかで「ここ」という場所を占める。が、そもそも身体が空間のなかで場所を占めることができるのは空間が広がりだからである。
存在とは現に在ることであり、現に在るとは広がりとして現れることである。存在とは広がりとして現れることである。存在が広がりとして現れることを存在の広がりという。空間のなかに存在するすべてのものは広がりとして現れる。たとえば目の前にある花瓶は広がりとして現れている。花瓶が赤い色をしているにせよ、円柱形であるにせよ、陶器でできているにせよ、それらの特徴はすべて広がりとして現出している。広がりのない赤い色、広がりのない円柱形、広がりのない陶器は表象できない。広がりのない風景を思い浮かべることも、広がりのない宇宙を想像することもできない。空間においてすべてのものは広がりとして存在する。
空間においてすべてのものはさまざまな色や形や大きさの広がりとして現れている。存在の広がりは感覚的要因や物理的要因などさまざまな要因が組み合わさって限りなく多様である。この広がりの多様性が世界を無限に多様なものにしている。しかし、この多様な広がりが人間の認識のフィルターによって濾過されると一般化される。一般化とは、個々の事物に共通する本質的な特徴を抽出して本質把握によって一般的概念を形成する認識の操作である。たとえば川岸に堆積する無数の鉱物質の固い物体は、それぞれ模様も形も大きさも異なるが、そこから共通の本質的特徴が抽出され、本質把握によって「石」という概念で一般化される。存在するものの多様な広がりが一般化されると、現れているがままの広がりの多様性は捨象されて広がりそのものが本質的特徴として抽出される。本質把握によって一般化された広がりは「延長」という概念で言語化される。延長とは、広がりの多様性が捨象されることによって一般化された概念である。この一般化の段階では延長はまだ「存在するものの延長」として了解されており、その限りでは依然として存在するものとつながりを保っている、この段階で延長は存在するものの属性とみなされる。さらに一般化が進むと、延長と存在するものは完全に切り離されて延長そのものが抽出される。存在するものの制約から解き放たれた延長は、あらゆる方向に無限に引き延ばされる。ここにいたって延長は存在するものから独立し、逆に存在するものを受容する空の器として表象される。空の器の表象に「空間」の言葉が適用されて、空間の概念が生まれる。空間の概念のもとで存在するものは背景に退き、存在するものを収容する器の観念が前面に出てくる。この器の観念が果てしなく拡大されると「無限空間」もしくは「絶対空間」の概念が生まれる。
「すべてのものは広がりとして存在する」という言表において、存在するものと広がりは一体をなしている。しかし一般化の認識操作によって存在するものが捨象されて広がりが抽象されると、存在するものと広がりが切り離される。その結果、広がりは存在するものを入れる器となり、「すべてのものは広がりにおいて存在する」と言表される。空間は広がりのもつ多様性が捨象されることによって成立する概念である。広がりが一般化の操作を経て空間として把握されることによって、すべてのものは空間のなかに存在すると理解される。
存在の広がりは、一般化によって延長となり、さらに延長があらゆる方向に引き延ばされて空間となる。空間のなかに存在するものは、空間の諸関係のもとにおかれる。空間の諸関係とは「ここ」や「そこ」などの場所、「近い」や「遠い」などの距離、上下左右などの位置関係、容器と中身の包含関係などである。すべてのものは空間のなかにおかれて空間の諸関係によって規定される。空間の諸関係の基準をなすのは＜身体に包まれた心＞である。身体は心が「ここ」と指定する場所に位置することによってはじめて「ここ」に位置する。身体が「ここ」に位置するのは、心がそのつど「ここ」に定位することによって空間の諸関係の基準となるからである。しかし心はその基準を直接心の外にあるものに適用できない。心が心の外にあるものと出会うのは、必ず身体を介してである。心が目の前に花瓶を見いだすのは、身体が花瓶の前に立っているからである。心が花瓶を見るのは身体が目をもっているからである。「目の前」という位置関係は、文字どおり目という身体器官を基準としている。この場合、心はいわば位置関係の基準の役割を、心に最も近い「心の外」である身体に託すのである。その結果、身体が位置関係の基準となり、身体を基準にした空間の位置関係が生じる。最も基本的な位置関係は身体にとっての上下・左右・前後である。たとえば上とは頭の上方であり、下とは足の下方である。上から石が落ちてくるといえば頭の上方から落ちてくることであり、下から水蒸気が吹き上げるといえば足元かそれより下方を指す。この身体の標準器を観念的操作によって体に沿ってずらし、臍を基準にそれぞれ上半身と下半身を画定することができる。さらにこの身体を基準にした位置関係を身体の外に投影すれば、無関係な二つの事物が互いの位置関係において認識される。たとえば机と花瓶は本来互いに没交渉であるが、身体を基準にした位置関係を投影することにより、二つの事物は「机の上に載っている花瓶」として把握されるのである。宇宙空間に存在する天体のあいだには上も下もないが、身体の標準器が投影されると月は地球の下に沈み、太陽は地球の上に照り輝く。
２．外在性
空間のなかに存在するものは、特定の形状に限定された広がりとして存在する。花瓶ならば円柱形として、地球儀は球状、本ならば直方体の形状で広がっている。これを人間に当てはめると、特定の形状に限定された広がりに相当するのは身体である。人間は身体という立体的な形状によって空間のなかに存在する。身体が特定の立体的形状をもつのは、身体が外被によって限定されているからである。外被は皮膚なり毛髪なりによって形成される身体と空間との境界である。身体は空間と面で接しており、身体の外被が空間との界面をなしている。人間が身体として空間のなかに存在することにより、空間は身体の界面の外にある広がりとして認識される。
外にある広がりとしての空間は、外在的な広がりである。ここで「外在的」とは文字どおり「外に在ること」である。外にあるという仕方で存在することを外在性という。外在性は人間に認識された存在の広がりの存在様態である。存在様態は人間の認識に受け止められた存在の仕方である。存在の広がりに人間の認識が関与することによって、存在の広がりは「いま・ここ」にあるという基本的な存在様態における空間的契機の「ここ」を基点とする外の広がりとして認識される。
空間は外在的な広がりであり、空間のなかにあるとは外在的な広がりのなかで特定の場所を占めることである。人間が空間のなかに存在するのも、外在的な広がりのなかで身体として特定の場所を占めることによってである。 人間は外在的な広がりとしての空間のなかで、外被によって限定された身体として特定の場所を占める。人間は空間のなかに身体として存在し、空間は身体の界面の外の広がりとして認識される。この場合、外とは身体の外のことであり、空間は身体の外の広がりである。存在するものが外在的な広がりのなかで特定の場所を占めるためには、存在するもの自体が広がりをもっていなければならない。広がりをもっていないものが、外在的な広がりのなかで場所を占めることはできない。空間のなかに存在するとは、外在的な広がりのなかでそれ自体が広がりとして特定の場所を占めることである。あるものが外在的な広がりのなかで場所を占めるとは、あるもの自体が広がりをもつことが前提である。人間の場合に広がりをもつのは、外被に囲まれた身体である。人間が空間のなかに存在するのは、身体が外被に囲まれた広がりをもっているからである。すでに見たように、広がりは一般化されて延長となり、さらに延長は一般化されて空間となる。それゆえあるものが広がりとして空間のなかに存在することを一般化していえば、あるものはそれ自体が空間として空間のなかに存在する。人間の身体も外被に囲まれた広がりをもって空間のなかに存在している限り、身体それ自体が空間である。事実、身体は内臓や骨や筋肉など広がりを有するものを収容している。また、内臓は細胞や血管を、骨は骨膜や骨髄を、筋肉は筋束や筋線維を収容している。
日常生活で人間が身体として空間において占める場所は、つねに空間のなかの特定の場所である。それは建物であったり、道路であったり、広場であったりする。どこであろうとその場所は広がりをもっている。しかし同時に身体も広がりを有する空間として、その外被の内部に筋肉や骨や内臓を収容している。それゆえ空間は、建物のなかに身体があり、身体のなかに筋肉や内臓があるというように入れ子状態になっている。入れ子としての空間は、外へ向かっては建物、道路、広場、地球、太陽系、銀河へと無限に拡大する一方で、内に向かっては身体、内蔵、細胞、分子、原子、原子核へとどこまでも縮小する。広大無辺の宇宙も、極微の原子も、広がりという点では共通しており、いずれもそれ自体が空間である。空間は巨大な宇宙空間でもあれば、原子間の微小空間でもある。あらゆる方向に引き延ばされた空の器という空間の概念には、太陽の数百倍の直径をもつ赤色超巨星も、直径が1 億分の 1cmの水素原子も包含される。
身体はそれ自体が空間であるならば、「空間は身体の外の広がりである」という言表は厳密には成り立たなくなる。なぜなら、外被によって限定された身体はそれ自体が空間であるから、空間は身体の外の広がりであるという言表は、空間は空間の外にあるということになって意味をなさないからである。だが、「外の広がり」という空間の定義において「外」が身体の外でないならば、外の広がりの「外」とはなんの外であろうか。
空間とは外の広がりであるから、それがなんの外であるかを問う場合、その「なに」はそれ自体が空間でないものでなければならない。さもなければ空間は空間の外にあるという自家撞着になるからである。空間でないものは、外の広がりをもって空間のなかに存在していないものである。しかしそれは空間のなかに存在してはいなくても、なんらかのかたちで空間と関係しているのでなければならない。空間とまったく無縁であるならば、「外の広がり」という場合に外が始まる基点となりえないからである。外の基点となるものは、それ自体は空間ではないが空間と関係することができなければならない。外の基点は、それ自体空間ではなく、空間のなかに存在するものでもなく、さりとて空間とまったく無関係に存在するのでもない。それは空間と関係するもの、つまり空間に即して存在するものである。ここで空間に即して存在するとは、空間との密接な関係において存在することを意味する。前述のように外被に囲まれて空間のなかに存在する身体はそれ自体が空間である。それゆえ、それ自体は空間ではないが空間に即して存在するものとは、それ自体は身体ではないが、身体との密接な関係において存在するものである。身体そのものではないが身体との密接な関係において存在するものとは、空間の諸関係の基準をなす＜身体に包まれた心＞にほかならない。これまで見てきたように＜身体に包まれた心＞という概念は、心と物の両極性とその幅を含んでいる。心は身体そのものではないという限りで身体から独立しているが、さりとて身体から離れて心だけで自立することは不可能である。心の働きはあくまでも身体という空間に即して発揮される。いま自分が建物のなかにいると判断するのは心の働きであるが、この判断は身体が建物という空間のなかに存在することを前提としてのみ成り立つ。心は身体をとおして空間と関係する。つまり心は身体をとおして外の広がりとしての空間と関係する。心が身体をとおして空間と関係するとは、心が心の外に広がる空間と関係するということである。外の広がりという空間の定義における「外」とは、心の外のことであり、外の広がりという場合の「外にある」とは、心の外にあることである。ここで、空間を再定義するならば、空間とは心の外にある広がりである。