第５章 時間論的視点
第４節 時間
１．時間は存在しない
未来と過去に関するこれまでの考察を要約すると、現在は文字どおり「現に在る」ことであり、「現に在る」とは現れて在ることである。現れて在ることは言語化されて「いまある」と了解される。人間の認識において「いまある」と了解される存在の仕方は現在性の存在様態である。存在様態は人間の認識に受け止められた存在の仕方であり、人間の認識構造に規定されている。言語化の過程で「いまある」ことの了解と相互参照されて「まだない」および「すでにあった」と了解される存在の仕方は、それぞれ未在性および既在性の存在様態である。未来はそれ自体としては存在せず、未在性の存在様態で現在に存在する。同様に過去もそれ自体としては存在せず、既在性の存在様態で現在に存在する。
現在性、未在性および既在性の存在様態は、知覚と予期と想起が一体となった人間の認識構造によって規定されている。人間は認識構造に規定されて自然を知覚と予期と想起によって認識する。知覚は、これから起こることが時々刻々と予期されるとともに、すでに起こったことが不断に想起されることによって連続的な知覚として成立する。予期も想起も伴わない知覚は現在における瞬間的な知覚ということになろうが、そのような知覚は想像すらできない。頭のなかで瞬間的な知覚を思い描こうとしても、知覚はもともと人間の認識構造に規定されて連続的であらざるをえないからである。しかしまた人間の認識構造そのものは自然によって規定されている。というのも認識という心の働きそのものが、人間が自然を探知する手段として発生したものだからである。自然を認識するのは、生存のために自然に適合すると同時に、生存にたいする危険を回避するためである。生存のために自然を認識するには、周囲の事物を知覚しながら記憶された知覚を想起すると同時にこれから起こることを予期しなければならない。知覚と予期と想起が一体となって、はじめて人間は連続的に変化する自然に対応した認識をもつことができるのである。
現在は本来「現に在る」こととして現れて在ること、すなわち在ることへと立ち現れることである。あるものが在ることへと立ち現れることによって存在が起こるところとして非言語的な＜いま＞が開ける。＜いま＞はおよそあるものが存在するところである。存在が起こるのはつねに＜いま＞においてである。＜いま＞は存在が起こるところとして過ぎ去ることがない。＜いま＞は永遠に＜いま＞である。その意味で＜いま＞は時間を超越している。「現に在る」こととしての現在に人間の認識が関与することにより、現在は「いまある」こととして言語化されて了解される。このとき「いまある」ことの了解は、「まだない」ことと「すでにあった」ことの了解と相互参照されている。「いまある」ことの了解は、予期における「まだない」ことの了解と、想起における「すでにあった」ことの了解への参照によって成り立つ。自然は連続的に変化しており、自然の変化は「いまある」ことの了解だけでは把握できず、変化を把握するためには「いまある」ことの否定態、すなわち「まだない」ことと「すでにあった」ことの了解を必要とする。それゆえ「いまある」自然の了解は、それ自体において「まだない」自然の知覚と「すでにあった」自然の知覚を包含している。
自然の変化に対応して認識において現在性と未在性と既在性の存在様態が生じ、それぞれ「いまある」、「まだない」、「すでにあった」こととして了解される。「いまある」と了解される現在性の存在様態は、「まだない」と了解される未在性の存在様態および「すでにあった」と了解される既在性の存在様態と相即的に成立する。現在性の存在様態は、未在性および既在性の存在様態への参照によって成り立つ 。この参照において「いまある」ことの了解が「まだない」ことと「すでにあった」ことの了解と対比されることによって、「いまある」と了解された現在性の存在様態は「現在」として概念化される。同様に「現在」との相互参照において、「まだない」と了解された未在性の存在様態は「未来」として概念化され、「すでにあった」と了解された既在性の存在様態は「過去」として概念化される。こうして概念化された未来・現在・過去が独立した時間区分として実体化される。実体化とは、本来観念の産物であるものが現実に存在するものとして捉えることである。時間区分としての現在と未来と過去から構成された全体が「時間」として思念される。ここから明らかなように、過去・現在・未来の区分によって構成される時間は、「現に在る」こととしての現在が人間の認識において変容した結果として成立する。時間とは、「現に在る」ことから派生した現在性と未在性と既在との存在様態が概念化され、さらにそれらが時間区分として実体化されることによって生じた観念である。
過去・現在・未来の時間区分を実体化して現実に存在するものとして表象しようとすると空間の形態に投影するほかはない。なぜなら現実に存在するものは、すべて空間的な形態で存在するからである。 過去・現在・未来の時間区分が空間的に表象されることによって、過去と現在と未来がば1本の直線上に投影されて並置される。この場合、時間とは、空間的に並置された過去と現在と未来の時間区分の全体である。こうして成立した時間は、空間のなかにおかれた空間、いうなれば「第2の空間」である。このような「第2の空間」を可視化した典型例として、事象の推移を示すグラフがある。たとえば液体の冷却曲線を示すグラフの縦軸には温度が記載され、グラフの横軸には時間が記載されている。時間は秒、分、時間などの時間単位で数量化されている。時間軸を表す直線が長ければ長いほど時間も長くなる。時間軸に定規のように目盛が刻まれると、時間は尺度化される。グラフの時間軸を表す直線を円にして、その円周に12等分の目盛を刻んだものが時計の文字盤である。時刻を表すのに円を用いるのは、直線的な時間が無限に延びるのにたいして、時刻は永遠に反復されるからである。
実体化された時間で人間が最も慣れ親しんでいるのは、時計的時間である。人間は日常生活において時計的時間のなかで生きている。時計的時間にしたがって通勤電車は運行され、会社や店舗は営業を開始する。時計のおかげで人々は生活を規則的に営むことができる。時計的時間は日常生活や社会生活を支配している。それどころか人間の心までも支配している。というのも人間は時計のなかに時間があると信じて疑わないからである。だが、ひとたび「時間とはなにか」を問うと、たちまち時間は謎となり、日頃なじんでいる過去・現在・未来の時間区分がにわかに不可解なものとなる。すでに見たように、現在と未来と過去はそれぞれ「いまある」、「まだない」、「すでにあった」と了解される存在様態である。これらの了解は相互参照によって成立し、どれか一つ欠けても成り立たない。実体化された時間を過去と現在と未来に区分する場合でも、「いまある」、「まだない」、「すでにあった」の了解を源泉としており、未来はまだなく、過去はもうなく、現在はいまあるという理解が働いている。普段は漠然と過去も未来も現在と同じように存在すると考えているが、時間を反省してみると、過去・現在・未来のうち本当にあるといえるのは現在だけであることに気づく。しかし、その現在の範囲を明確にしようとして、まだない未来ともうない過去を削り取っていくと、漠然と捉えられていた現在の範囲は次第に狭まり、最後には瞬間しか残らなくなる。しかし瞬間は無限分割という観念的操作のはてに想定される無である。時間を空間的要素に投影して無限分割すると、現在と呼ばれるものは最終的に無に帰さざるをえない。このように過去・現在・未来を空間的に並置すると、最終的には時間の否定にゆきつく。これは時間を空間に投影し、過去・現在・未来の時間区分として実体化した場合に必ず陥るアポリアである。
ベルクソンは、人間が時間を空間のイメージで表象してしまう理由を、自我の内在性と空間の外在性との関係に求めた。
「一言でいえば、われわれの自我はその表面では外部世界に触れているものなのだ。それで継起する諸感覚は、お互いの内部へ溶け合っているとはいえ、その原因の客観的特徴となっている相互的外在性のいくらかをとどめている。そしてそれこそ表層的な心理生活が等質的な環境の中でくりひろげられて、しかもこのような表象の仕方にはたいした努力を必要としないことの理由である。」1）
これを本論に引きよせて解釈すると、自我においては心理生活（意識生活）が継起する局面は互いに浸透しあっている。これにたいして空間のなかに存在するものは相互に外在的である。しかしながら心理生活における継起は外部世界の変化が知覚された結果である。外部世界で事物が動いているのを見るとき、運動は自我の内部では持続として体験されるが、外部の空間のなかでは事物の位置から位置への移動として知覚される。そのためあとから運動を思い描こうとすると、自我の内部で体験された持続がは空間に投影されて空間的な位置から位置への移動として表象される。つまり反省された運動は持続として追体験される代わりに、事物の空間における位置から位置への移動の軌跡として表象されるのである。運動が空間に投影されることにより、時間が空間的要素によって表象されることである。なぜなら時間は運動から運動する事物を捨象することによって得られる観念だからである。
時間を静止した空間ではなく、絶えず動いている流れとして捉えたらどうか。この場合、自然が変化するのは、時間が絶えず流れているからというように考えられる。時間を川の流れに見立てるならば、流れる時間のなかで現在は絶えず過去へと流れていく。しかしそうだとすると現在あるものはすべて過去へ流れ去ってしまい、現在にはなにも残らないことになる。その結果、現在はからっぽになるが、これは現実の変化の観察とは相いれない。これにたいする反論として時間は過去に流れ去るだけでなく、絶えず未来から流れてくるというかもしれない。本物の川ならば上流から絶えず水が流れてもこようが、時間の場合に未来から流れてくるものはなにか。未来そのものか、それとも未来にある事物か。未来そのものが流れてくるとして、未来はどこかで突然現在に変わるのか。それとも徐々に現在になっていくのか。いずれにせよ未来がどこかで現在に変わるなら、未来と現在はなにによって見分けられるのか。そもそも未来はどのような様子をしているのか。このような疑問が次々と湧き起こるが、その結果はっきりするのは結局のところ未来そのものの概念がまったくもって意味不明であり、具体的に表象できないということである。
時間の上流から流れてくるのは未来そのものではなく、未来にある事物であると考えてもなにも変わらない。事物が未来にあるというのはいったいどのような状況なのか。未来そのものが不明である以上、そのような状況は想像のしようがないが、とりあえずなんらかの事物が未来にあると仮定しよう。その場合、事物は未来からやってきて、ほんの一瞬現在に立ち寄ってから過去へと流れ去るのか。事物が「未来からやってくる」というとき、それはどのような経路を通ってやってくるのか。SF映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場するタイムマシンのように突然出現するのか。さらに未来からやって来たものはどのように過去へと流れ去るのか。未来そのものが不明であるのとまったく同程度に過去そのものも不明であるから、過去についても未来について立てられたのと同じ問いが繰り返されるだけである。すなわち「過去に流れ去る」というとき、どのような経路をとおって現在から過去にはいるのか。「未来から流れて来る」ということが具体的に想像できないように、「過去へ流れ去る」ということも実際には表象のしようがない。このように時間を流れとして表象することは、実は具体的には何も表象していないのと変わらないのである。
以上述べたことから、空間として表象された時間も、流れに見立てた時間も虚構であり、現実の変化とは本質的に無縁であることは明らかであろう。時間を「第2の空間」とみなそうと、川の流れに見立てたようと、そうして表象された時間が現実の変化といかなる接点ももちえないのはどうしたことか。それはとりもなおさず時間そのものが存在しないからである。一般に「時間」と考えられているものは、本来は認識の事柄である既在性と現在性と未在性の存在様態が実体化されて、対象物のように存在すると錯覚された観念にすぎない。時間は虚構の観念である。現実の変化を虚構の観念で説明しようとしてもいかなる理解も得ることができないのは当然である。現実の変化が繰り広げられるのはつねに「いま」である。絶えず進行する現実の変化は、知覚と想起と予期からなる人間の認識構造によって把握され、既在性と現在性と未在性において了解される。これらの了解はそれぞれ既在性と現在性と未在性の存在様態として「いま」に存在する。この現実の変化に対応して連続する了解に、実体化された時間の観念が介在する余地はない。
２．変化は更新である
以下に、変化が知覚と想起と予期からなる人間の認識構造によって把握されて、現在と過去と未来という言葉で了解されているものがそれぞれ現在性と未在性の既在性と存在様態で存在することを、具体的な例でて見ていくことにする。
冬のある日、午後から雪が降り始め、それから一晩中降り続いて、翌朝起きて見たら庭一面がすっかり白い雪で覆われていたとする。最初に窓から庭を眺めたとき、木の枝の残り少ない枯れ葉に粉雪が絡むのを見て、雪が降り始めたことを認識する。空から舞い落ちる白い雪片を見るのは知覚であり、それを見て雪が降り始めたと認識するのは知覚にもとづく判断である。雪が降り始めるのは現在である。このとき雪は「いまある」という仕方で了解された現在性の存在様態で存在する。雪が降り始めるのが現在ならば、降り始めた雪を知覚するのも現在である。雪を知覚することにおいて、雪という自然現象は人間に現前し、「いまある」ものとして了解される。最初はちらちらと舞っていた雪片は次第にその厚みを増しながら降り続く。それを観察しているのも現在であり、活発に降り続ける雪は「いまある」ものとして了解されている。そして一夜明けた朝、庭一面に雪が降り積もっているのを発見するのも現在である。この一連の変化について私のなかには、雪が降り積もった現在の知覚と並んで、雪が降り始めた現在と、雪が降り続いている現在の知覚の記憶がある。もしそれらの記憶がないとすれば、それぞれの現在の知覚は記憶に保存されなかったことになる。知覚が記憶に保存されなければ、そのつどの現在における知覚は永久に消滅することになる。その場合は、瞬間的な知覚しかないことになるが、そのような知覚は空想することさえできないことはすでに見たとおりである。しかしたとえ記憶に保存されても想起されることがなければ、それらの知覚はやはり永久に失われたのと同じである。知覚の記憶がないか、記憶された知覚が想起されなければ、雪が降り始め、降り続き、そして降り積もったという一連の認識は成立しない。その場合は雪が降り始める前の記憶もないわけだから、雪が降り始めたという認識すら成立しない。直前の記憶と比較することなしに雪が降り始めたと認識することはできないからである。実際には私は庭が降り積もった雪で覆われているのを知覚しながら、雪が降り始めたときの知覚在と、雪が降り続いているときの知覚を想起している。私がそれぞれの現在における知覚の記憶をもっているのは確かなことである。記憶されているのはそのときどきの現在における知覚である。それらは雪が降り始めた現在の知覚であり、雪が降り続いている現在の知覚であり、庭が雪で覆われた現在の知覚である。それらの知覚の原因となった現象そのものは、いずれも現在は消滅しており、したがって「いまある」ものではない。しかし想起されたそれらの現象の知覚は「すでにあった」ものとして了解される仕方で存在している。つまりそのつどの現在の知覚は、想起されることによって既在性の存在様態で現在に存在するのである。
変化とは、ある現象が別の現象になることである。現象が変化するとは、現象が消滅すると同時に発生することである。この場合、ある現象が消滅し、それに続いて新たな現象が発生するのではない。新たな現象が発生することによって、それ以前の現象が消滅するのである。これに対応して、現象の変化が認識されるためには、知覚された現象が消滅し、消滅した現象の知覚が記憶され、それが想起によって「すでにあった」知覚として再現され、再現された知覚が「いまある」別の現象の知覚と対比されなければならない。人間が現象の変化を認識するのは、消滅した現象の知覚が記憶に保存され、保存された知覚の記憶と現在の知覚を対比することによってである。変化の認識は、現象が知覚されるのと並行して、現象が消滅するのに伴いその現象の知覚も消滅し、消滅した知覚が記憶に保存されることを前提としている。記憶に保存された知覚を想起して「すでにあった」知覚と「いまある」知覚を対比して両者の相違から現象が変化したことが認識されるのである。
「すでにあった」知覚と「いまある」知覚の対比によって現象の変化を認識するという場合、微視的変化と巨視的変化で若干の違いがある。微視的な変化とは、連続的に継起する変化である。自然は連続的に変化しているが、連続的な変化は「いまある」現象とその直前の現象との対比によって認識される。たとえば雪が降るのを知覚するのは、「いまある」雪片の位置と直前の雪片の位置を対比することによってである。直前に雪片が知覚された上方の位置と、現在雪片を知覚している下方の位置を対比して雪片が下降していることが認識され、雪が降っていると判断される。この場合は、「いまある」雪片の位置が知覚されると同時に直前の雪片の位置が想起されて対比される。微視的変化の認識においては直前に記憶された知覚の想起が自動的におこなわれて現在の知覚に連なる。これが連続的におこなわれることによって、現象の変化に対応する知覚が成立する。これはおよそ知覚が成立するための前提条件である。
巨視的変化とは、断続的に継起する変化である。庭を覆った枯れ葉のうえに雪片が舞い散り始めたときと、枯れ葉が完全に雪で覆われたときでは時間的な幅がある。雪片が舞い散り始めたときの知覚の記憶を、枯れ葉が雪で覆われたときの知覚と対比することによって現象の変化が認識される。巨視的変化の認識の場合、現在の知覚と対比して想起される知覚は恣意的に選択される。巨視的変化の認識は、微視的変化の知覚を成立条件としている。
庭に降る雪を見て人間が知覚するのは現象の一部にすぎない。なぜなら知覚は人間の視点によって限定されており、現象を全面的に把えることはできないからである。人間は変化の過程にたいして特定の視点を取り、その視点から現象の一部を知覚する。変化の過程は知覚に先行し、知覚は人間に現れる限りの変化の跡を追う。知覚によって部分的に捉えられた現象は、現象の知覚として記憶に保存される。現象が全面的に知覚されることがないように、現象の知覚が全面的に記憶されることもない。記憶されるのは現象の知覚のほんの一部にすぎない。庭に雪が降るのを見るとき庭全体の景色が知覚されはするが、その全光景が写真のように克明に記銘されることはない。庭全体の知覚のうちで記憶に保存されるのは、特に関心を引く印象的な光景、たとえば一本の庭木の枯れ葉に粉雪が降りかかっている様子だけである。それほど印象的ではない光景、いいかえれば関心の対象とならない光景は記憶されず、たとえ背景情報として記憶されたとしても短時間で消滅する。記憶に保存されるのは現象の知覚のうち、特に意識の関心を引く部分にすぎない。これを脳生理学的にいえば、関心の対象とならない知覚刺激は脳の記憶回路の入り口にある海馬のフィルターによって選別されて捨て去られる。
雪が降り始めたのも、雪が降り続いているのも、庭がすっかり雪で覆われたのも、「いまある」と了解された存在様態で存在する現象である。現象は絶えず消滅しながら新たに生じる。新たに生じるとは、それ以前のものが消滅して別のものが発生することである。この場合、以前のものが消滅し、続いて新しいものが発生するのではない。消滅と発生は同時に起こるのである。あるいは新しいものが発生することによって以前のものが消滅するのである。これが可能なのは、以前のものは変化のプロセスに取り込まれて別のもののうちに保持されるからである。以前のものは変化して別のものとなることによって消滅する。それゆえ消滅するとは、むしろ新たに発生するもののうちに保持されることである。消滅と発生が同時に起こり、それによって全体が新しくなることを更新という。更新とは消滅と発生が同時に進行しつつ絶えず別のものになることである。
変化の本質は更新である。現象は絶えず変化し、変化することによって更新される。更新においてありとあらゆるものが消滅と発生を繰り返しながら、絶えず別のものへと変化する。現在は「現に在る」こととして存在が起こるところである。消滅と発生が同時に起こるのも現在である。ありとあらゆるものが現在において変化して新しくなる。現在はけっして過ぎ去ることはない。世界のありとあらゆるものが不動の現在において消滅と発生を繰り返しながら、絶えず別のものへと変化する。
人間も自然のなかに組み込まれている限り、人生も本質的に更新である。人生は一生をとおして消滅と発生が同時に進行し、不断に更新された結果としていまこの瞬間にある。このことを冷厳な事実として認識させられる人生の局面がある。40年間一つの会社で定年まで勤めあげて退社するときに感想を聞かれて、「40年間あっというまだった」とか「40年は長いようで短かった」などと答えるのが普通である。事実、それ以外の答はありえない。なぜなら40年間という時間はどこにも存在せず、あるのは経過した歳月を示す「40年」という空疎な言葉だけだからである。現に存在しないという点では、40年だろうと4年だろうと4日だろうとなんら変わりはない。どの時間も「あっというま」である。「あっというまの40年」という虚しさの入り混じった意外性は、これまで生きてきたはずの時間がどこにもないことを思いがけず実感した驚きにほかならない。人生はそれ自体において更新の過程である。更新は発生と同時に消滅することであるから、人生が40年経過したとは人生が40年間消滅し続けたということでもある。人生の歳月は日々消滅しているが、普段はそれに気づかないで生活している。しかし定年という人生の大きな節目を迎えたとき、40年という過去の年月が消え去ってどこにも存在しないという事実にいやおうなく向き合わされる。たしかにそれまでの40年間に経験した出来事を思い出そうとすれば、さまざま思い出されるだろう。しかし思い出せば思い出すほど、それらはすべて自分の記憶のなかにあるだけで、それ以外どこにも存在しないという確信が強まる。写真や日記を見て記憶を補強することはできる。しかしそれも過去の時間はどこにも存在せず、現に存在するのは記憶と記録だけだということを裏づけるものでしかない。
３．記憶のファイル
現象が変化するのに対応して、現象を認識する知覚も変化する。変化する知覚は次々と記憶に保存される。現象の変化に対応する知覚の変化と、変化した知覚の記憶をパソコンにたとえれば、変化する知覚は「上書き保存」であり、変化した知覚の記憶は「新規保存」である。知覚は、現象が変化するのに対応して絶えず新しい知覚へと変化する。知覚は現象の変化に伴って時々刻々と消滅しながら新しい知覚が発生する。この場合、消滅した知覚は新たに発生する知覚によって上書きされる。たとえば雪が降り始めた現在の知覚に、雪が降り続いている現在の知覚が上書きされ、さらにそのうえに雪が降り積もった知覚が上書きされる。このようにして知覚は現象の変化に対応して順次更新される。これにたいして記憶は知覚の変化に連れて次々と新しいファイルを作成しては、それらを別々に保存する。つまり変化する知覚が更新されて上書き保存される過程で、上書きされて消滅した知覚は次々と新規のファイルが作られて保存される。雪が降り始めた現在の知覚を記憶したファイルはＡというフォルダーに保存され、雪が続いている現在の知覚を記憶したファイルはＢというフォルダーに保存され、さらに雪が降り積もった現在の知覚を記憶したファイルはＣというフォルダーに保存される。記憶のファイルが作成されるのは現在であり、作成された記憶のファイルがそれぞれＡフォルダー、Ｂフォルダー、Ｃフォルダーに保存されているのも現在である。それゆえすべての記憶のファイルは現在に存在する。しかしながらそれらのファイル自体はいずれも「過去」のファイルである。過去とは「すでにあった」という既在性の存在様態であり、「過去のファイル」というときの「過去」は記憶のファイルに付与する既在性の修飾子である。朝起きて庭に降り積もった雪を見て、昨日雪が降り始めたときの光景が既在性の存在様態において想起され、その記憶のファイルに「すでにあった」こととして「過去」と書かれたラベルを貼る。ラベルには「過去」と書かれているが、過去のラベルを貼った記憶のファイルが存在しているのはこの現在である。過去のファイルをフォルダーから取り出して、その内容をありありと思い浮かべるのもこの現在である。
記憶のファイルには単に「過去」と書かれたラベルを貼るだけでなく、複数のファイルを比較して、それぞれに「より遠い過去」とか「より近い過去」と書かれたラベルを貼ることもできる。たとえば雪が降り始めた知覚の記憶は「より遠い過去」であり、雪が降り続いている知覚の記憶は「より近い過去」である。「より遠い過去」も「より近い過去」もこの現在にしか存在しないことに変わりはない。それにもかかわらず雪が降り始めた現在を「より遠い過去」と呼び、雪が降り続いている現在を「より近い過去」と呼ぶことができるのは、現象の変化に対応するそれぞれの現在の知覚の順序の記憶があるからである。この現象の変化に対応する知覚の順序にもとづいて、雪が降り始めた現在の記憶のファイルには「より遠い過去」と書かれたラベルが貼られ、雪が降り続いている現在の記憶のファイルには「より近い過去」と書かれたラベルが貼られる。しかし「より遠い過去」と「より近い過去」のラベルが貼られた記憶カードそのものは、カードケースのなかで時系列をなしていない。カードはカードケース内にひとしなみに水平に並べられている。だから想起において、雪が降り続いている光景のあとに雪が降り始めたときの光景を思い浮かべることもできれば、雪が降り始めたときの光景から一足飛びに雪が降り積もった光景を思い浮かべることもできる。保存された記憶に「より遠い過去」と「より近い過去」のラベルを貼るのは、現象の変化に対応した知覚の順序に符牒を合わせたにすぎない。知覚の継起とは、雪が降り始めてから降りやむことなく一晩降り続き、現在庭はすっかり雪で覆われているという一連の経過である。この場合、雪が降り始めてから雪が降り続くのを一日中観察しているわけではない。特に眠っているときは観察していないから、そのあいだの知覚の記憶は完全に欠落している。だから朝起きて庭が雪で覆われているのを見て、現在このように雪が降り積もっているのは一晩中振り続いた結果であると推定する。この因果的な先後関係の推定にもとづいて、変化の過程で先行したとみなされる知覚の記憶に「より遠い過去」のラベルが貼られ、後続したとみなされる知覚の記憶に「より近い過去」のラベルが貼られるのである。
因果的な先後関係に符牒を合わせて、記憶のファイルに「より近い過去」と「より遠い過去」のラベルを張っても、それらのファイルは記憶のカードケースのなかでは水平に並んでいるだけで、「より近い過去」が「より遠い過去」からどのくらい隔たっているかはまったく不明である。「より近い過去」である雪が降り続いている現在も、「より遠い過去」である雪が降り始めた現在も同じ現在であり、そこにはたんなるラベルの相違以外になんの違いもない。したがってこれら二通りの過去のあいだには「隔たり」もない。しかし記憶のカードケースには知覚の継起の記憶も保存されている。その記憶によれば、「より遠い過去」は「より近い過去」に先行して起こり、両者のあいだにはなんらかの「隔たり」がある。そこでこの「隔たり」を表すために、雪が降り始めたときの知覚の記憶に「昨日」の符号をつけ、雪が降り積もった状態の知覚の記憶に「今日」の符号をつける。これは雪が降り始めてから降り積もるまでの現象の変化は、太陽が西に沈んでふたたび東から昇る現象の変化に対応して進行したことを意味する。つまり雪が降り積もった「より近い過去」と雪が降り始めた「より遠い過去」との「隔たり」を、太陽という別の現象の変化におきかえて表わすのである。雪が降って積もるのも、太陽が東から昇って西に沈むのも、どちらも自然の現象である。両者の違いは、雪が降る現象はいつ起きるかわからず、しかも非常に変則的であるのにたいして、日の出と日の入りの現象はきわめて規則的であるという点である。そこで太陽の動きが規則的に反復されることに気がついた人類は、東から出た太陽が西に沈んでふたたび東から出るまでの現象の変化を、それ以外のすべての現象の変化の基準とすることにした。そして昼夜の1回の周期を「一日」と決めた。16世紀にコペルニクスが太陽が地球のまわりを回っているのではなく、地球が1 日周期で自転しながら太陽を中心に回っているという地動説を唱えてからは、地球の1回の自転周期を一日とするようになった。しかし地動説は日の出と日の入りの現象が規則的に起こることを理論的に説明したものにすぎず、太陽が東から昇って西に沈む現象が周期の基準とされていることに変わりはない。
昼夜の1回の周期を一日とする約束ごとにもとづいて、今の日を「今日」と呼び、乍（たちま）ち過ぎた日を「昨日」と呼び、また一夜明くる日を「明日」と呼ぶことにした。記憶のカードケースのなかでは等しく水平に並んでいる「より近い過去」と「より遠い過去」に「今日」と「昨日」の記号を付すことにより、両者のあいだに一日分、つまり日の出から日の入りを経て次の日の出までの変化の過程に相当する隔たりがあることが認識される。とはいえ変化はそのつどの現在に起こるのであるから、実際には「隔たり」という言葉で呼称される実体的なものはない。そこにあるのは絶えず消滅すると同時に新たに別のものとして発生する変化の過程である。それゆえ一日の隔たりは知覚することもできなければ、一日の長さを実感することもできない。あえて一日の長さを実感しようとすれば、生々しい記憶が必要である。たとえば一日の農作業を振り返って、朝一番に鳴いた鳥の声、秋の陽に照らされた田圃の畝、鎌で稲を刈ったときの手ごたえ、昼食に食べた弁当、見上げた空に浮かぶ白い雲などを思い出す。それらは現在における記憶のスナップショットであり、断片的で順序も入れ替わっている。そうした記憶の断片が想起によって頭のなかで再現される。しかしそれによって実感されるのは実は一日の長さではなく、記憶そのものの密度である。記憶の密度が濃ければ一日は長いと感じられ、記憶の密度が薄ければ一日は短いと感じられる。つまり想起される記憶の断片の密度が一日の長さとして錯覚されるのである。
現象の変化の隔たりの認識は、二つの異なる現象を比較することを基礎としている。異なる現象を比較するためには両者に共通する特徴を抽象し、それについて比較するのでなければならない。その特徴とは大きさであったり、重さであったり、色であったりするが、ここでは変化の長さである。異なる現象から変化の長さという共通項を抽象するのは、リンゴとミカンから果物という共通項を導き出すのと同じ心の働きによる。心の働きによって現象の変化の共通項として抽象された変化の長さが時間と呼ばれる。労働の過程を日の出・日の入りの自然現象と比較する場合は、陽が出て沈むまでの時間が現象の変化の長さの尺度である。このように心の働きによって抽象された時間を空間的な尺度で表そうとして考え出されたのが時計である。人類の歴史において最初に誕生した時計が日時計であるのは、きわめて自然であった。なぜなら日時計は、それまで1日の基準とされてきた日の出と日の入りの規則的な変化を人為的な手段で空間化したものにほかならないからである。日時計に日の出から日の入りまで空間的な距離を物差しのように均等に刻むことにより時刻も測定できるようになった。これにより自然現象の規則性を時間の尺度とする原理が確立された。しかし日時計は晴天時の日中しか使えないという難点があった。そのため太陽に頼らずに自然現象の規則性を再現する手段として水時計や砂時計なども考案された。近代になると、ゼンマイや振り子の動作の規則性を利用した機械式時計が発明された。機械式時計の登場により変化の規則性が飛躍的に向上した。さらに20世紀に入ると水晶振動子の発振周波数を利用したクォーツ時計や、セシウム原子のマイクロ波遷移にもとづく原子時計が発明された。しかしどんなに時計の精度を高めようと、日の出と日の入りを1日の基準にする原則は変わらない。日の出と日の入りは地球の自転にもとづいて規則的におこなわれるが、それはあくまでも自然現象の規則性であって絶対的な規則性ではない。絶対的な規則性は人間の頭のなかにのみ理念として存在するのであって、自然界には存在しない。この自然界に存在しない絶対的な規則性の理念を追求した果てに、人工時計の規則性が地球の自転の規則性を上回った。しかし地球はもともと時計に合わせて自転しているわけでもなければ、地球の運動が時計的時間に制御されているわけでもない。そこで時計の方を地球の自転に合わせるために「閏秒」を導入して調整することになったのである。
「今日」と「昨日」は、日の出から次の日の出までの変化を基準として、互いの相対的関係において成立する指示記号である。これらの相対的な指示記号によって示すことができるのは、現象の変化の因果的な先後関係と、その変化の過程の幅である。すなわち、雪が降り始めたのは昨日であり、その結果として庭に雪が降り積もっているのは今日であるということと、雪が降り始めてから降り積もるまで一日分経過したということである。しかし「今日」と「昨日」の記号によってそこまでは示すことができても、雪が降り積もっている現在は「いつ」であるかを示すことはできない。雪が降り積もっている現在は「今日である」と答えたとしても、では「今日はいつか」と尋ねたら、「今日は今日である」という同語反復でしか答えることができない。同様に「昨日はいつか」という問いにたいしては「今日の一日前」という答えしか返せない。「今日」と「昨日」の相対関係を超えて「今日はいつか」の問いに答えるには、今日が動かないように日付のピンで留める必要がある。そのために考え出されたのが暦である。古来西暦、和暦、仏暦、イスラム暦などさまざまな暦が考案されてきた。それらはことごとく出来事を日付のピンで固定するために当事者間で交わされた約束ごとである。たとえば西暦は、中世になってイエス・キリストの誕生年と推定した年の翌年を紀元として年数を計算することにしたものである。この場合、イエス・キリストが実在したかどうか、あるいは推定された年が誤まりだったことがのちに判明したことなどはまったく取るに足りない。日付をつけるために、歴史上のどこかに基準となる元年を当事者間で取り決めさえすればよかったのである。西暦は、西暦元年として設定された年を基準として、それから365日目を西暦2年とするというように定めた相対的な紀年にすぎない。では、「西暦元年はいつか」という問いには誰も答えることができない。
1）アンリ・ベルクソン『時間と自由』(平井啓之訳)