東独に渡る前は結局、翻訳らしい翻訳はほとんどできなかったが、「技術翻訳」という職種について自分なりのイメージを持つことができたのは非常に有益だった。というのも、東独滞在の3年間を、技術翻訳者として食べていけるようになるための準備期間として明確に位置づけることができたからである。
根っから文科系人間が技術系の人間に変身することは不可能だが、少なくとも技術的なものへのアレルギーはなくしておきたい。そのために東独にいる間にできるだけ多くの機械や技術に触れ、自分のなかに技術翻訳のバックボーンを作ることを目指した。
この目的のためには、石油化学プラントはまさに絶好の環境だった。広大な敷地に巨額を投じて建設されるプラントの工事現場では、土木、建築、電気、化学工学、配管、機器、溶接、塗装、鉄道、物流、品質、安全など、技術のあらゆる分野が密接に絡み合い、綿密なプランに基づいてまるで一つの有機体のように成長していく。
何もない原野を測量し、パワーショベルで掘削し、ランマーで土を締め固め、型枠と鉄筋を組み、コンクリートを打設して基礎を作る。その上に鉄骨を組み上げて、変圧器やリアクターなどの機器を取り付ける。私はその一つ一つの工程に立ち会って通訳した。客先や国の機関による検査にも同行し、後日送られてくるドイツ語で書かれた検査報告書を英語と日本語に翻訳した。そういう作業を毎日のように繰り返した。
現場に長くいると、全体の流れや組織の仕組みなどが個々のエンジニア以上に見えてくる。客先や下請業者とも顔なじみになり、その利点を社会主義国家特有の官僚機構のなかで大いに活用した。そのため会社からも重宝がられ、緊急工事が発生すると、本来は委託業務契約には含まれていない資材調達の仕事まで任されるようになった。私もその期待に応えようと張り切り、西ベルリンの業者にテレックスを打って品物を注文し、自分でアウトバーンを飛ばして取りに行った。かと思えば、インド人が運転するおんぼろトラックの助手席に乗って延々と揺られ、東独の片田舎にあるセメント工場に一日がかりで買い出しに行ったこともある。
こうして私は東独に滞在した3年間で、人とのつながりで仕事をする面白さを体験するとともに、「技術翻訳者」としての基礎体力を多少なりとも身につけることができたのである。
（2007年9月17日)