江藤淳氏の自殺の報に接して強い衝撃を受けた。常に知性の高いバランスを堅持し
てきた江藤氏ほど、自殺の似合わない人物はいないと思われたからである。私は公表
された遺書や関係者の発言に、なんとか江藤氏の死の社会的な意味を読み取ろうとし
た。が、ほどなくそれは全く個人的な死であることが明らかとなった。
人間は社会的な存在である。いや、社会的存在であるべく宿命づけられていると言
うべきか。しかしどれだけ社会化されていようと、人間には社会に引き渡されていな
い部分、他人にゆだねられていない部分がある。あらゆる社会的関係から切り離され
た個の存在のよって立つところと言っていいかもしれない。これまで積極的に社会に
コミットしてきた江藤氏が、仕事も半ばに突然みずから命を断ったという事実は、氏
がそうした部分のところで自死を決断したことを物語っている。だから、それは本来
美化したり、批判したりすべき性格のものではあるまい。それらは故人の死をむりや
り社会的な関係の中に取り込み、その脈絡の中で論評しようとする行為にほかならな
いからである。氏のあくまでも簡潔な遺書は、まさにそうした論評を拒んでいるよう
に思えるのである。
（朝日新聞社「江藤さんの決断」2000年1月）